おかぴの生き方研究室

人生とはそもそも何か|20代の思考備忘録

人生とは何ぞやと尋ねても釈然としない答えばかりだろう。あまりに抽象的に独り歩きしているから。

・人生を諦めるしか…
・自分の人生は無意味だったので…
・どうやって人生を送っていけば…
・幸福な人生を送りたいけど…

これらの疑問の裏には「自分らしい人生を送りたい」「今の人生の送り方で後悔してしまうのでは」といったモヤモヤした感情が渦巻いているに違いない。

しかし、各々人生をどのようなものと捉えているのだろうか。人生が何を表わすのか分からなければ、自分らしいとも後悔するとも言えないはず。

今回は「人生とは何か」について考えてみたいと思う。

人生を説明できるか

子どもに「人生ってなぁーに?」と聞かれたらなんて答えるだろうか。ああ、困ってしまう。人の一生だよとでも答えようか。

辞書を引いてみると、人生とは以下のようなものらしい。

①人間がこの世に生きていくことと、その生き方。
②人間がこの世に生きている(期)間。

新明解国語辞典第八版より引用

辞書によれば、人生は人間が生きて死ぬまでの間のあれこれをひっくるめた言葉らしい。ということは、人生を考えるためには生と死がわからなければならない。

人生を思い悩むのは死があると思うから

そもそも、人生についてあれこれと思い悩むのも生と死がある、つまりが人生が有限だからである。

人間であればいつかは死を迎える。誰もが迎える。だから生きているうちに後悔のないように生きよう、という論理だ。

この論理は「死ぬ=今までやってきた経験や実績も無に帰す」という想像ができるからこそ成り立っている。たしかに他者が亡くなってしまうと、肉体の機能は停止して意思の疎通も計れない。

そして寂しい気持ちや胸にぽっかりと穴が空いたような感覚から、自分もいつかああなってしまうのか…と考えたくなる。

しかし、死ぬと全てが無に帰すなら、死んでいる時には無に帰すと考えている自分自身もいないはずではなかろうか。

それに死ぬとどうなるかなんて、誰1人分からないじゃないか。死んでから生きた人なんて私は知らない。

こうやって考えてみると、死ぬという現象はなんとなく理解できても”死”が何かはさっぱりわからないことがわかる。

人はいずれ死ぬ。正しい。しかし自分の死なんてものはわからない。だから死んでしまえば何も残らないという発想は少しズレている気がする。

正確に言えば、自分の死はなく、自分の生しかないのだから、死ぬことなんて思い悩まずに生きたいように生きればよいのである。死ぬことが寂しいものだと想像して、後ろ向きに今を生きる必要はどこにもないのだ。

人生はただ今を生きることでしかない


人生は「ただ今を生きること」でしかない。過去や未来に思いをはせ、人生についてあれこれ考えている自分自身だって、過去や未来ではなく今を生きている。

ここまで考えてきたが、人生は生であるとわかっただけである。なんだか当たり前のことを回りくどく説明しただけのようにも思える。当たり前のことを言っただけなので、「結局どのように生きれば??」と気になる人もいるだろう。

残念ながら人生の答えはない。もしあれば、こんなにも多くの人間が同じことで思い悩まないだろう。ただ、答えはないが、考える中で見つかったことはある。

それは、死を恐れて自身を縛る必要はないということだ。何をしてもいいのである。

さて何をしてもいい、どんな形でもいいとわかった自分はいったい何をするだろうか。夢や目標を持って突き進んでもいい、好きな人を見つけて恋愛をしてもいい、趣味に没頭してもいい、1つのことをとことん研究してもいい、何もしなくたっていい。

おまけ|私のいまの人生


ちなみに私は不思議や謎を存分に味わって生きてやろうと思っている。今回書いた人生や死のように、生きていることは不思議の塊である。

「私とはなにか|20代の思考備忘録」の記事でも書いたように、そもそも私が私として存在していること自体が謎だ。

それに、不思議や謎を味わうことに喜びを感じている私の感覚や考え方はいったい誰のもので、どこから来ているのか、まったくもってわからない。

木の枝の1本1本、その上にとまるスズメ、空に浮かぶ雲、遠くに見える夕焼け、さらに遠くにある天体の運動…そしてそれらを見つめる私…

仕組みや構造が明らかになっていっても、なぜそのように存在しているのか、そうでなくてはならないのか、やはりわからないことだらけである。

よくわからない私が、よくわからないけれど何かをやりたいと思う。そしてやる。結果など気にしない。だって何をやってもいいのに、わかりきった(と感じる)ことをやっても面白みに欠けるじゃないか。

意味や結果を求めずに全存在を賭けてやりたいと思うことに体当たりしていく。何か生まれるかもしれないし、不発に終わるかもしれない。でもそれでいいのだと、”今は”思っている。

この文章を書いたのも書いてみたかったからだし、どう転ぶかなんてわからない。ただ思考は正直に打ち明けたつもりだ。

さて80億人近くいる人間の1人であるあなたは、いったい今からなにをするのだろうか。楽しみで仕方がない。